先日、ごきげんさんラジオに、愛野ようこさん——ようこちゃんを迎えました。
話のなかで出てきたのは、「前世」という言葉でした。
科学的に証明されている話ではありません。ようこちゃん自身も、誰かに信じさせたいから話したのではないのだと思います。
彼女が伝えたかったのは、その体験を通して自分がどう変わったのか。そして、変わった今の自分を見てもらいたい、ということでした。
「前世なんてない」と言われるかもしれない
前世やスピリチュアルという言葉を口にすると、「非科学的だ」「そんなものはない」と言われることがあります。ときには、言葉がその人を傷つけるところまで強くなることもあります。
僕自身も、ようこちゃんがそれを語るまでに、迷いや怖さがあったのではないかと感じました。
けれども、ようこちゃんが体験したことは、ようこちゃんのものです。こちらが客観的な事実だと決めつけることも、外から簡単に取り上げることもできません。
そして、そばにいるぽんちゃんが感じ取った、ようこちゃんの変化。以前よりも、もっと「ごきげんさん」になったようこちゃんの姿。それは、実際に彼女と接してきた人が受け取った変化です。
前世が本当にあったのかを証明することと、
その体験のあとに、その人が変わったこと。
それは、分けて受け取っていい。
僕は、空を泳ぐ夢を思い出した
ようこちゃんの話を聴きながら、僕は、子どもの頃から何度も見てきた夢を思い出していました。
空を飛ぶというより、空のなかを泳いでいる夢です。
今でも、ときどき見ます。気持ちよく空を泳いでいたのに、急に落ちて、びっくりして目を覚ますこともあります(笑)。
あの夢は何なのだろう。ひょっとしたら、僕は空を飛ぶ鷹だったのではないか。そんな感覚が、ふっと湧いてきました。
鬼子母神は、子どもの頃からの場所
鬼子母神は、先祖から聞いてきた話のなかだけにある場所ではありません。僕自身が、子どもの頃からその境内で過ごしてきた場所です。
鬼子母神の御会式で。装束を着た、子どもの頃のみ〜ちゃん。
鬼子母神の境内で。石碑のそばに座る、子どもの頃のみ〜ちゃん。
写真に残るこの場所は、僕の子どもの頃からの日々とつながっています。だから、ようこちゃんの話から鷹の夢を思い出したとき、それは家族の記憶だけでなく、僕自身の幼い頃の記憶ともつながっていきました。
鬼から、子どもを守る神へ
鬼子母神は、法華経に登場する仏教の守護神です。物語のなかでは、ハーリティーという女性が、我が子を失う苦しみを知ったことで、それまで自分が他の親子に与えてきた悲しみに気づきます。そして行いを改め、人びとと子どもを守る鬼子母神になったと伝えられています。
雑司ヶ谷では、鬼子母神は子育てと安産の神として祀られてきました。現在も子授け、安産、お宮参り、子どもの成長を願う祈りが、この場所で受け継がれています。
雑司ヶ谷鬼子母神堂の公式由緒によると、尊像は永禄4年(1561年)に清土——現在の文京区目白台——で掘り出され、天正6年(1578年)、雑司ヶ谷の人びとが建てたお堂に安置されました。現在の本殿は寛文4年(1664年)の建立です。関東大震災と第二次世界大戦を免れ、2016年には国の重要文化財に指定されました。
我が子を思う痛みを知り、
奪う側から、いのちを守る側へ。
鬼子母神の物語もまた、体験によって変わった姿を伝えています。
三原家の鷹と、受け継いできたもの
そう感じたのには、理由があります。
ここには、鬼子母神を守り続けてきた先祖たちのお墓があります。そして、そのすぐそばに、鷹のお墓があります。
墓石には、はっきりと「鷹ノ墓」と刻まれています。東京・雑司ヶ谷の鬼子母神で祖父が飼っていた鷹の墓だと、家に伝わっているものです。
鬼子母神をお守りしてきた父、祖父、曾祖父。その家の長男として、自分は何を受け取り、これから何を渡していくのか。
ようこちゃんの話は、忘れていた記憶の扉を開き、僕にもう一度、その問いを思い出させてくれました。
これを「僕の前世は鷹だった」と証明することはできません。でも、鷹のイメージと家族の記憶が重なったとき、自分が受け継いできたものに、前より少し深く触れた気がしたのです。
お産と、生命誕生と、日本の伝統医療へ
ここまで書いてきて、僕はいま自分が取り組んでいることを、もう一度見つめ直しました。
僕の活動の一つに、お産と生命誕生があります。いのちが生まれる前から、生まれる瞬間、そして育っていく時間までを、からだと暮らしの側から考え、伝えていく活動です。
安産と子育てを願う人びとが何百年も足を運んできた鬼子母神。その境内で育ち、その場所を守ってきた父、祖父、曾祖父の背中を見てきた僕が、いま、お産と生命誕生に関わっている。
これは、あとから無理につくった物語ではありません。ようこちゃんの体験を聴き、鷹の夢と子どもの頃の写真に触れ直したことで、これまで別々に見えていたものが、僕のなかで一本につながったのです。
雑司ヶ谷と、日本の伝統医療を学ぶ場所
雑司ヶ谷は、僕が取り組む日本の伝統医療とも深い縁のある土地です。
この歴史の源流には、盲教育と聾教育をともに担った東京盲唖学校があります。1909年に東京盲学校と東京聾唖学校へ分かれ、のちに両校は東京教育大学の附属学校となりました。ただし、二つの学校がともに雑司ヶ谷にあったわけではありません。東京聾唖学校の後身は戦後、千葉県市川市の国府台へ移り、現在の筑波大学附属聴覚特別支援学校へ続いています。
雑司ヶ谷に根づいたのは、現在の筑波大学附属視覚特別支援学校へ続く盲学校の歩みです。学校の公式沿革によると、前身の東京盲学校は1910年に小石川区雑司ヶ谷町へ移転。1951年には東京教育大学教育学部特設教員養成部(盲教育部)と附属盲学校を合わせて「雑司ヶ谷分校」とし、1973年に東京教育大学附属盲学校、1978年に筑波大学附属盲学校、2007年に現在の名称となりました。
この学校は、視覚に障害のある人の教育とともに、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅうを受け継ぎ、教える場所でもあります。現在も高等部専攻科の鍼灸手技療法科で、三つの国家資格を目指す3年課程の教育が続いています。
僕自身も、鍼灸とあん摩マッサージ指圧の教員資格を取得しています。治療に携わるだけでなく、日本の伝統医療を知ってもらい、次の世代へ伝えていくことも、僕の活動の大切な一部です。
日本点字を生み、視覚障害教育を育ててきた学校が、同時に、手で身体に触れる技術と鍼灸を伝えてきた。その学校が、鬼子母神と同じ雑司ヶ谷の歴史のなかにあることを、僕は大切に受け取りたいと思います。
この学校史だけで、三原家の先祖と学校との直接の関わりが証明されるわけではありません。それでも、鬼子母神を守り続けてきた先祖たちが暮らした同じ土地で、盲教育と、手で身体に触れる日本の伝統医療が育まれてきた。その重なりを知ると、僕には、先祖との関わりも深かったのではないかと感じられるのです。
安産と子育てを願う鬼子母神。あん摩マッサージ指圧、鍼、灸を学び伝えてきた学校。そして、日本の伝統医療を土台に、お産と生命誕生へ向き合う今の僕。
ようこちゃんの話は、僕に新しい使命を与えたというより、もう歩いていた道がどこから続いていたのかを、改めて見せてくれたのかもしれません。
証明できないものを、どう聴くか
人が語る不思議な体験に出会ったとき、すぐに「本当だ」と言う必要も、「ありえない」と切り捨てる必要もありません。
その人は、その体験から何を受け取ったのか。暮らしや表情は、どう変わったのか。いま、その人のからだは、どんな声を出しているのか。
そこを一緒に聴くことなら、できるのだと思います。
ようこちゃんの話を聴いて、僕のなかにも眠っていた夢と、家族の記憶が動き出しました。彼女が自分の体験を語ってくれたからこそ、生まれた時間でした。
ようこちゃんとの、新しい番組へ
これから、ようこちゃんとコラボレーションして、新しい番組をつくっていく予定です。
ようこちゃんの声と体験、そして、そこから受け取った人のなかに何が立ち上がるのか。答えを決める番組ではなく、それぞれが自分の感覚に触れられる番組にできたらと思っています。
企画が進んだら、その過程も随時お伝えしていきます。
愛野ようこさんの公式noteプロフィール写真。
声と言葉を通して、「本当の私を生きる」時間を届ける人。
声歌旅言葉ヒプノセラピー
「本当の私を生きる」をテーマに、自分の内側に浮かぶ感覚や言葉と向き合う時間を届けています。ヒプノセラピー、誘導音声、旅や日常から生まれた気づき、歌、文章など、声を中心に活動しています。
長く事務職として働いたのち、自分の人生を自分の感覚で選び直し、現在の活動へ。その歩みのなかで経験した変化を、YouTube、stand.fm、note、Instagramで伝えています。
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この記事は、出演者の個人的な体験と、執筆者が受け取った感想を綴ったものです。前世の存在や催眠中のイメージを、客観的・科学的事実として示すものではありません。